県道188号線 館山大貫千倉線
館山市青柳〜南房総市千倉町瀬戸 (8.0km)
めがね橋は白浜町滝口地先を流れる二級河川長尾川に架設され、その延長は20m、幅員4mの石積み工法の洋式三重橋で、川辺に映るその姿がめがねに似ているところから、「めがね橋」と呼ばれています。明治21年3月(1888年)地元の寄付によりつくられ、橋のたもとの石は静岡県伊豆から運び、橋の本体の石は近くの海岸から切り出したもので、地元の石なら塩害に強いと選ばれました。大正6年(1917年)の洪水や、大正12年(1923年)の関東大震災にも耐え、戦時中は戦車が通ったといわれる頑丈な橋です。現在は約50m下流のフラワーラインにコンクリート橋が架かり、めがね橋は車の通行を禁止し、保存されています。関東では、白浜町だけしかない珍しいものといわれています。
御神的(おまと)とは弓を放って、矢の当った的を見てその年の作況と気候の順不順を占う神事で、起源は古く第44代天正天皇の時代( 680〜 748年)に大飢饉があり、民衆が飢えに喘いでいたとき、常陸国(今の茨城県)の鹿島大明神のお告げを承けた別当平田権之頭が氏子の川津三郎に重藤の弓を授け、「増間に往きこの弓を持って、鳥獣を射って食料とし郷民を救え」との神のお告げの使者として行かせました。この思いに報いるため増間の人々が日枝神社の裏山の鹿島明神を祠り、毎年2月1日(旧暦)を例祭日と定めました。
里見氏の居城・館山城跡を戦後に整備した公園で、現在は市民の憩の場となっています。山頂には天守閣形式の博物館分館があり、天守からは鏡ヶ浦を中心とした市街地が一望できます。園内には桜や梅、さつき、つつじなどの木々が茂り、季節には人々の目を楽しませます。また、芝生広場や日本庭園、博物館本館も公園内にあります。
日蓮聖人の弟子、日家上人が建治2年(1276年)に聖人生家跡に一宇を建立し、高光山日蓮誕生寺としたのが始まりとされています。その後天災に遭い、現在の地に移り小湊寺誕生寺と改称されました。宝永3年(1706年)建立の仁王門や、日蓮聖人像が安置されている祖師堂、本師殿宝塔などがあります。また、灯篭流しや御会式など、年中行事も多く開催されます。
便宜上、北条バイパスと国道410号線との交点を起点として表示しています。
館山市の北部、JR那古船形駅西方の海岸に面した船形山中腹にあり、断崖の途中にはりついたように観音堂が造られていることから通称「崖の観音」と呼ばれています。養老7年( 723年)、東国巡訪中の行基がこの崖面に十一面観音を彫刻安置したのが寺の始まりとされ、観音堂背後に高さ 1.5mの磨崖十一面観音像があり、館山市の有形文化財に指定されています。観音堂は飛騨匠の作と伝えられる朱塗舞台造の建物で荒々しい岩肌との対照が印象的です。